2005年11月09日

2005年11月03日

大阪の陣での成実、その他の人々

前のカキコで、成実と宗貞の論争を書いたけど、もう1個エピソードが治家記録に載ってました。(超意訳)


政宗の旗本の松本若狭に
「さっさと戦に参加して手柄たててこい!」
と励ました。
若狭が、
「いや、殿の下知を受けてませんから」
と遠慮すると
「あーもー、手柄たてたら文句ないって。俺が責任とるから行って来い!」
みたいな感じ。
果たして若狭は手柄をたてて、政宗に褒められました。


……コレはコレで、なんだかなぁ。
なんで成実が政宗のそば近くにいる若狭のトコにいるんだ。


先発の片倉隊が道明寺付近(国分片山)に着いたのが、5/5の午後4時。
政宗の到着が午後8時。
大和から河内平野に向かった関東方は、20000余。この人数が竜田越を通ってくる、しかも隊将はそうそうたるお大名だから、きっと奈良街道は大混雑大渋滞だったろうな(^^ゞ
posted by 武水しぎの at 22:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 伊達雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大阪夏の陣前後の白石宗直

「白達記」によると、秀宗の宇和島入府に先立って、白石宗直が宇和島城を受け取りにいったとある。
無事に秀宗に城を渡し、尼崎まで戻ったところで、夏の陣の陣触れを聞いた。んで、急な陣触れなので人数も揃わないだろうと、政宗を草津まで迎えにいった。

大阪の陣、道明寺の戦いの前に、白石宗貞の小旗持ちが、成実の小旗持ちを追い抜いた。
成実「そこもとの九曜紋は前に出すぎている。後に下がれ」
宗貞「戦陣でカッコつけてる場合か」
成実「今日の先陣は儂だ。聞き入れぬなら、殿に申しあげるほかない」
宗貞「あなたもご存知のとおり、我が白石家の旗は、宗実の代からよその旗の後になったことはない」
で、互いの兵士が刀に手をかけ、あわや、というところで、宗貞の重臣が
「今は大事のときだ。そんなんやってるばあいとちゃうやろ」
と双方を説得した。


と、なかなかオモロイエピソードなので小説に頂戴しようと思った。
後半、成実との論争については、すでに江戸期から、「大阪の陣に参加してるなら、宗貞じゃなくて宗直じゃないの?」という疑問がだされてる。

で、一応治家記録をチェック。
すると、白石宗直が全然でてこないの。
夏の陣のときは、冬の陣のあと、兵士がみんな仙台に帰っていた。それであとから東海道を追っかけてきて、治家記録は「いつだれそれが着いた」とけっこう細かく記してる。でも出てこない。
夏の陣の陣立ても、大きな備えをたてているのは片倉、亘理、成実の3隊。あとは鉄砲隊を指揮したり、人数だけ使わした家も多かったようだ。
茂庭、石川あたりは陣立てには出てこないけど、家中のだれそれが首をいくつとった、という記載が出てくる。が、総じて、片倉オンパレード(^^ゞ

もちろん、立場的制約はあるものの一応いろいろ考証した治家記録と、単なる伝承を記した白達記は史料としての信頼性はかなり差がある。

どこまでどっちを信用するかは置いといて、このような話が白石家中で広範にひろまった、というあたりがオモロイ。
posted by 武水しぎの at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 伊達雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月28日

白石宗直・つづき

こないだからザウルスくんで書いている、宗直のお話。
和賀一揆でやけに盛り上がってしまった。
さぁ、あとどうしよう……。

河の改修っていうネタは好きなので、北上川のことにも触れたいのだけれど、手元に資料がない。登米町史を中央図書館に行ってコピー……いついけるかなぁ(^^ゞ

実家の近くの川の付け替えをしたのが、島左近の孫で、それ以来この手のネタは好き。
posted by 武水しぎの at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 伊達雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月09日

仙台すずめ踊り

仙台すずめ踊りが堺に里帰りしてくるそうです。

なんでも、仙台築城のときに、堺の石工が即興で踊ったのがルーツだそうで。

堺なら日帰りできるな……。いけるかな……。
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2005年10月07日

斎藤兵部の謎

飯田勝彦の「伊達政宗とその武将たち」に登場した、斎藤兵部。
白石攻めの最中に成実をしたって、上杉から伊達へ走ったとか書かれてたと思います。

10年越しでやっとソース見つけました。
それもすごく当たり前なところに。
治家記録でした……。もっと早く気づけよ、ってかんじです。
ただし、白石攻めではなく、もちょっとあとの、福島城をめぐってどたばたやってるときでした。

福島の検断や百姓、あと上杉方の同氏とともに、成実を通じて奉公を申し出てきた、みたいな感じで書いてありました。
帰参まもない成実を通じて、ってあたりが萌えのポイントですv
ちなみに成実の通称もこの時点で「兵部」になってました。
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2005年09月24日

梅の名は

物件に植える花苗を、カタログ見ながら物色してました。
果樹もいいなぁ、なんて、つい食い気がでました。

梅の品種名見てにんまり。

「藤五郎」

焼酎にも最適なのがナイスです。
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2005年09月15日

50年。

社中の大先輩が亡くなりました。
ふだん文章を書きまくっているのに、こういうときには言葉がでてきません。
私もずいぶんお世話になりました。ご冥福をお祈り申しあげます。
師匠とその方とは50年来の深いつきあい。式のあと祭壇に向かって語りかけられていた弔辞が忘れられません。


↑をかかずにはいられなかったんで、カテゴリにむりやり合わせて伊達話。
50年の付き合いの、片腕のような知己と、永訣する。
「御名語集」の跋文をしみじみと思い出しました。
posted by 武水しぎの at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 伊達雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月13日

政宗と成実

前に「成実の謎」で、政宗の手紙を
「成実に対しては親しみよりも敬意の勝った文体」
と書いたんだけれど。
政宗文書3を読んでると、え〜ぇ感じにくだけてきてる。

「昨日の狩はあかんかったけど、今日リベンジするから、そーっと見にきてや」
とか。
posted by 武水しぎの at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 伊達雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月05日

合掌

岩崎狂雲師が亡くなりました(ToT)
合掌。

ぜんぜん伊達な話じゃないけど。
くすん。
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2005年08月23日

街道をゆく

司馬遼太郎の「街道をゆく」がいま、再編集されて雑誌で出てます。
今号は仙台だった。

立ち読みをすると、仙台平野のことを「沃土」と表現してました。
一藩の経済を米に頼り不足するところのないほどの沃土。
この沃土は政宗にはじまる、みたいな。

最近よくひっかかるんですが、どこの地方史を読んでても――いや、私のコトだから宮城県内の地方史なんですが――水沢も登米も亘理も白石も、おおよそ全てのところで、
「ウチの殿さまが来たときには荒れた土地だったのを、がんばってこんだけ発展させたんだよ」
みたいな書き方がしてあるんですね。
でもその「殿さま」はホントにその土地を「荒れた土地」だと思ってたのかな???
そりゃ、記録を書いた人から見れば、「殿さまが来たとき」=過去は荒れた土地だったでしょう。
でもそれが当然のところだと、だれもそうは思わないんじゃあないだろーか。
たぶん伊達家中が懐かしんだ、信達地方や置賜地方も上杉家は似たような書き方をしている気がしますよ。
posted by 武水しぎの at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 伊達雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月17日

稙宗とか

伊達鉄斎をいま調べてて年齢のドツボにはまってます。
長男の宗直って、政宗よりちょうど10年下なんですよね(1577生)。
さらに4年後(1581)には弟・宗友も生まれてます。

一応同腹の弟、ということになっている大有康甫和尚が1535生。
ちなみに実元は1527生。
輝宗1544生まれ。
稙宗1488生まれ。

稙宗の子どもの中で生没年がわかってる中で一番若いのが、村田宗殖1542生まれ……。
稙宗63歳の子であります。
86歳まで生きたパワフルなじーさま。隠居してからも約20年生きてますが。よくぞまぁじっとしてたもんです。(相馬とごそごそやってたみたいではあるが)
86歳に殉死する91歳もいたしな(-_-;)


さぁ、年齢設定をどうしよう。
posted by 武水しぎの at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 伊達雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月06日

白石宗直

さっそくザウルスで遊んでます。

鉄斎と硯斎を書こうとしたら、白石宗直の話になっちゃいました。
「白達記」面白かったんだもの!

なんかこう、遅れてきた人の欲求不満とゆーか。
治部宗実にも忠宗にもあるんだけど、似たニオイを感じた。
もうちっと屈折してるよーな気もするけど。
posted by 武水しぎの at 00:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 伊達雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月02日

ザウルス買っちゃった!

2ヶ月ほど前から、隣県の物件の現地管理事務所にも通ってます。
今までスポットで行くときには、バイクや車が多かった(役所回りが目的だった)が、今度は事務もやるので、基本は電車通勤2時間であります。
おかげで車内で、むふふ……v

ネタが打ち込めるようザウルス買っちゃいました。ソフマップで2年落ちのお買い得品ですよん。
駅前の古本屋で宮城谷昌光の「長城のかげ」を買いました。
こんな作品が書きたい!
posted by 武水しぎの at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 伊達雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月25日

日本の古本屋

久しぶりで日本の古本屋に行くと、リニューアルされて、使いやすく、軽くなっていた。
で、つい浮かれてお買いもの。

松山町史。大日本古文書伊達家文書の2と3。研究紀要(稙宗・晴宗とその息子たちの花押の話)。

花押の話が一番面白かったですな。
初期の稙宗の花押は上杉家の模倣で、それを元宗・実元が継承してるとか。
政宗の花押の話はいろんな本で見るけれど、そのほかのはなかなか一般書では触れられてない。
稙宗-輝宗の花押の変遷とその連続性については、この論文ですごくよくわかったのだけれど、輝宗-政宗の間のことも知りたくなってきた!

実家の両親が相馬野馬追に行ってきました。
い〜なぁ〜。
posted by 武水しぎの at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 伊達雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月20日

石川義宗

前にちょこっと石川義宗の名前の話を書いたが、今頃になってやっと気づいた。
義宗の「義」は佐竹義重の「義」じゃん。
と、いうことは伊達氏に帰属する前は「石川義光」? わー、山形の誰かさんと同じ字だ。

諱の両方とも、他家の通字なあたりが、すごーく悲哀を誘う。
posted by 武水しぎの at 23:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 伊達雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月19日

実元と米沢

大河を見てたら、すごーく実元は米沢で、すごく偉そうに当主の後見役を務めてるんだけど。
それがまたかっこいいんだけれど(^^ゞ

資料読んでると、あんまり自分ちから腰を上げてるように見えないんだよね……。
亘理さんちが一所懸命走り回ってるのとは対照的だ。
お手紙とか、使者のやりとりは多いんだけど。

昔「伊達政宗卿伝記史料」を買った古本屋で、「福島の地名事典」を購入。
にやにやしながら見てます。
「県史7」を横に持ってこなきゃ……!
posted by 武水しぎの at 22:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 伊達雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月10日

気がつけば

ずいぶん長い間、伊達のことを書いてない。
目いっぱいだったからな。

昨日久しぶりに昔の友人に会って、無謀にも仙台城へ自転車でのぼった思い出話をした。
知らなかったからできた、懐かしい思い出だ。
戦国バサラの制作を友人の友人がしていることが判明^m^
世間ってけっこう狭い。

夫婦祭のころからひっかかってることに亘理拝領がある。
成実がもらったのは約6000石。
その後、最終的に2万石余になる。加増もあったが新田開発の勢いがスゴイ。
白石に移った小十郎の方の増え方は……
おかげで名産品ができたそうだが。
posted by 武水しぎの at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 伊達雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月20日

「五郎」の謎

掲示板で野崎さんに教えていただいた、天正2年4/20、「五郎」が平に言ってる記事。
「福島市史」の方では小林先生の注で、この「五郎」を成実としているとのこと。
確かに4/20の記事は、「五郎」=実元では不自然なのよね。占領後の交渉中になにふらふら岩城へ行ってんだ、ってことになるから。
「福島県史」では、2/12・6/20・9/23の注で「五郎」=実元とし、4/20には注がついてない。
両方に小林先生がかんでるんだけどな(^^ゞ
ちなみに成実は数えで8歳。今の小1。で、元服前。

元服前なので童名であるべきなのだが、家の通称が固定化されていれば元服前でも文書にその通称を記す例は、ほかならぬ伊達本家にある。
もっとも、伊達実元系は成実で2代目なので、通称を固定化して当然かどうかは、時代性を考えても微妙なラインであろう。

なんにしても、「五郎」が実元が成実かすごく気になるので、輝宗日記の関連記事を拾い出してみやう。

2/12 五郎殿より松大へ状参り候
4/4 大もりより、八丁目昨日三日のつとり候との到来
4/5 又田村よりの到来、八丁目の義について、四郎へもん大森へ使にこし候
4/18 杉妻・八丁目よりひきやく参候。八丁目よりはひよう物のこと
4/20 同八丁目より、二本松よりしきり御こんほう、いつかたの陣へなりとも50騎つつのかうりょくとの事。(中略) 五郎殿、御ひかしうえさまよりふみ参候。五郎殿平に御さ候。
6/20 田村より状参候、一昨日五郎殿泉地へ御入候、もかみくち如思召候事、大悦義由被指越候
7/10 大もりより志賀備前守使にまかり被越候、二本松のことについて
9/23 五郎殿よりかたなとき、さやにてこし候へとて参候
閏11/10 大もりよりつめぬけにて、かん合候とて参候
12/16 大森より状参候、堀能はらい候とて、二本松より到来候との事

しかし、書き写すと気になることが、わらわらと。
「ひよう物」とか「つめぬけ」ってなんじゃらほい。
「泉地」ってどこ???
志賀さんの「まかりこされ候」って表現が丁寧! なんで?

とりあえずあとで「治家記録」ももっぺん読もうっと。
posted by 武水しぎの at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 伊達雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月17日

荒浜

阿武隈河口の荒浜が気になっている。
言わずと知れた東廻り航路の港で、仙台藩の番所があり、米沢藩の米はここから江戸へ出荷されていた。

と、ここまでは簡単にわかるのだが。
承応事件では山形藩士も詰めているので、けっこういろんな藩の出張所があったような気もする。そんな場所でのんきに(?)魚網をひかせている宗実。
藩政初期(小十郎〜成実)の荒浜の管理はどーなってたんだろ???
けっこう草創期って制度がころころかわるしなぁ。

やはり仙台市史の近世編も買うか……。
posted by 武水しぎの at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 伊達雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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